亀岡の霧の影響で3m歩いたら髪の毛が濡れてしまいます。長尾です。
先日、中学校の時の恩師と電話で話す機会があり、
その時の話で少し盛り上がりました。
私の中学生時代はまさに「思春期」「反抗期」と言える
絵にかいたような中学校生活を送っていました。(NHKの中学生日記のような)
おそらく高校受験なんてできないであろうという内申書の悪さ。
各教科の教師からの評判の悪さ。
私自身もいい学校に進学なんてできないだろうと考えていました。
中学校3年生の時の担任の先生はそんな私を見はなさず、
面談に面談を重ね、私で通える最高の高校を探してくれました。
というか、私が行きたいと言った高校にどうにか入れる様に私の素行を直してくれました。
その際の恩師の言葉は
「校則に書いてないからって何をやってもいいわけじゃない。
長尾がいいと思ってやったことで、何か悪い影響があったときは
学校は校則を厳しくしなければいけない。
それで校則が厳しいって言ってもそれは長尾が自分の行動で招いたこと。
愚痴を言っても、校則を破っても、誰も長尾を守ってやることはできない。
ルールとはそういうもん。厳しく言われたくなかったらまずは行動を改めろ。
自分だけ怒られてるなんて思っていてはいつまでたっても子供のまま。
子供のままの長尾が中学校を卒業して高校に行けるとは思えない。」
最初はいらー!ってしましたが、ぐうの音も出ないくらいの言葉だったので、
今でも頭から離れません。
恩師の言葉をふと思い返すと今の自分の行動を改める事が出来ると思いました。
意見を出す事、ルールを守らないという事はそのルールを更に厳しくし、
自由な環境がどんどん減っていく事になると思います。
「自由にしたい。」「自分の思い通りにしたい」という事は
ある一定の「ルール」という縛りの中で発揮される事であり、
縛りの無い環境、無法な環境下では真の自由は発揮できないと思います。
何か行動するときは恩師の言葉を思い出します。
という事でルールの話でした。
では、また来週。
長尾 惇平