コンバットで使用している
マスカラスジャムのパンツは本当に軽いですよ!
ジャンプニーが10cm高くなりますよ!
オススメですよ!
明日も履きますよ!
長尾 惇平です。
今日は哲学について考えます。
タイトルの文章は、
私の好きな作家の「森博嗣」氏の
作品の中に出てくる言葉なのですが、
余計なことに首を突っ込みたくなる主人公(女)と
それに巻き込まれる主人公(男)のやりとりです。
女「責任と責任感の違いは?」
男「画数の違いだよ」
って言う感じです。
森博嗣作品には哲学的な表現が多いです。
一見したら意味が全くわかりません。
森氏は大学で教鞭をとるほどの物理学者で、
いつも答えの中に生きる人であったと思います。
哲学は明確な答えを提示せず、
読み手に考えさせることが醍醐味と言えます。
物理学者である森氏が哲学的な表現をすることが
非常に面白く、その内容にも引き込まれます。
作品を見直す機会があり、
頭をフル稼働しております。
考えることに意味があるのです。
「大人になる、という意味は、死を意識して、臆病になる、
たった、それだけの価値」
や
「私には正しい、貴方には正しくない……。
いずれにしても、正しい、なんて概念はその程度のことです」
や
「そもそも、生きていることの方が異常なのです。
死んでいることが本来で、生きているものというのは、
そうですね。機械が故障しているような状態。
生命なんて、バグですものね」
なんて言葉は私の心に直撃してくるわけですよ。
別に気持ちが沈んでいるわけではありませんよ。
直撃しませんか??
物事なんて単純で、人間独自の「心」の部分が
ややこしくしていっているような気がするんです。
なので、こういう言葉を見て、考えて、ややこしくなる自分を
押さえ込んでいるんです。
長尾惇平
「哲学とは自分を見る事」
と、心得ました。
惰力では生きたくないのです。
ってややこしいブログでしたけどね。
では、また来週。
長尾 惇平